嘘日記。

おおむね嘘を書いている。

9/22

おおむね嘘の日記を書いている。

本当のことを書くのが苦手なのだ。

 

 

緊張しない。

ステージの上に一人で立って何かを発表するときも、仕事で大事なプレゼンをするときも。

小学生のときに、週番という制度があった。児童が1週間ずつ交代で、週番という制度を担当する。きちんと校舎の掃除が行われているか、忘れ物は多かったか、などを把握し、報告するのだ。その報告というのが、週明けの全校集会で、

1、これから1週間、週番を担当する〇〇です。と挨拶をする。

2、翌週の全校集会で、1週間の学校の様子を報告し次の担当に引き継ぐ。

というやり方だった。先生たちや、全校生徒の前で、壇上で挨拶をしたり、話すということは、10歳になるかならないかの児童たちにとって大きなイベントであった。

そして自分が週番になり、わたしも壇上に上がるときが来た。

挨拶はそこそこに上手に出来たので安心していたのだが(クラスと名前を言うだけだ)、翌週に報告をしなければならないタイミングになって、急に怒涛の緊張が襲ってきた。

校庭から校舎に入るときは、運動靴の砂をよく落としてから入るようにしましょう。

そんなことを言う予定だった。

ところが壇上に上がって全校生徒が自分を見上げる顔が見えた瞬間、言うべきセリフの全てが吹っ飛んだ。

「…○年○組の〇〇です。1週間よろしくお願いします。」

真っ白の頭で、気付くとそう言っていた。空白。

 

「何、ふざけているの!ちゃんと報告をしなさい!」

そばで当時の担任(50代の女性だった)が怒った口調で言っているのが聞こえた。

そこではっと我にかえり、

「…靴箱の周りをきれいにしましょう。以上です」

そそくさと言って壇上から降りた。

担任がわたしを睨みながら何か言っていたが、耳に入らなかった。

失敗した…絶対におかしいと思われた…笑われる…。

そう思ってクラスメートが整列する中に戻ったが、そのときもその後の1日も、誰にも何も言われなかった。拍子抜けした。

そういえば、自分も全校集会で壇上の人が何を言っているかなんて、熱心に聞いているわけでもなかったな。それにわたしはふざけておかしなことを言ったのではなく、大真面目な顔をして台詞を飛ばしたので、聞いていた児童たちも違和感は覚えたかもしれないが、笑うような空気にもならなかったのだ。

その後も、誰にも、何も言われなかった。

 

そんなもんか。

大勢の何百人の前で何か失敗したとしても、特にその後の生活や人生に何のダメージもないのだ。

わたしがその一件から学んだことである。

 

それ以来、どんな場面でもほとんど緊張しなくなった。

正確には、緊張を感じても、たとえ失敗したところで自分の人生にとって大したダメージはないと分かっているのだ。だから自然にその瞬間、あるがままの自分を曝け出すしかない。それでうまくいけばハッピーで、失敗したらドンマイだ。それだけである。大きな責任がかかった仕事であっても、緊張して上がる必要はない。そのとき頑張れることを頑張る。それだけである。年若いうちに体感として学んだことの中で、かなり有意義なことの一つであった。

 

ただわたしは緊張しただけなのに、どうして叱責するような言い方をしなくてはならなかったのか。担任の女性教師に対するうっすらとした不信感だけがその後残った。ベテランの教師であるなら、児童がふざけてやったことなのか、そうでない間違いなのか、気づけないものだろうか。年齢が二桁になるかどうかの当時のわたしは、大人とはもっと冷静で判断力のある、しかも教師という職種の人間であるなら尚更、公正で正当であるべきだと考えていた。

以来、担任の教師をわたしはじっと観察した。クラスの前で話すときも、テストを配るときも、参観日の授業でも、ずっと。どうして彼女はわたしを強い口調で責めたのか。どうして違うことを言ったの?と普通に聞くだけでよかったではないか。この大人はそもそも信頼できるのだろうか。

ある日テストを解いている時間、教室の後ろで大きなガッシャーンという音がした。全員が振り返ると、担任の女性教師が床に倒れていた。教室の後ろの壁に児童の習字作品を貼っていた担任が、踏み台にしていた椅子から足を滑らせて落ちたのだ。音を聞きつけて隣の教室から若い教師が飛び込んで来、女性教師に声をかけていた。クラスメートたちははっと息を飲んだり、先生大丈夫?と遠巻きに声をかけたりしていた。女性教師は腰を打ったらしく、弱々しい声で返事をするものの、その場から動けないようだった。

若い教師が念のため救急車を呼んできます、と言って出て行った。

倒れている担任と目が合った。

嫌悪。

その目に映ったのは、確かにそういう感情だったと思う。彼女の目に映る、わたしに対する感情。

瞬間、理解した。そうか、この人は、わたしのことが嫌いであったのだ。

わたしは心配というよりも、想定外のトラブルが起こった驚きでじっと息を潜めて床に転がる担任の様子を見ていたのだが、それは彼女からすれば、尊敬すべき教師に子供らしい素直な心配の声もかけてこない、可愛げのない振る舞いであったことだろう。

嫌悪。

感情は気配を持つのだ。

わたしははっきりと知った。

ふうん、と思って興味を失い、前を向いてテストの続きに取り掛かった。

その後担任は2日間学校を休み、わたしは残りの人生を緊張をあまり感じずに過ごすことになった。