嘘日記。

おおむね嘘を書いている。

9/17

嘘の日記を書く。

本当のことを書くのが苦手なのだ。

 

奏鳴多ちゃんは4月生まれの女の子なので、4歳だけど年少組さんの誰よりも背が高く声も大きい。ソナタちゃんと読む。ご両親ともにプロの社交ダンサーで、イギリスの名門ブラックプールの常連出場者だそうだ。そんなものはshall we dance?の世界だけの話だと思っていたので、踊りの経験なんて小学校の運動会のソーラン節以来というダンス偏差値20のわたしは、この子にはいずれ世界に出てほしいと思っています、と入園の時のご両親の言葉にも、はあ、それはそれは、としか返答できなかった。

世界を目指すことを定められた遺伝子とはどんなものなのだろう、と、わたしのクラスに配属されたソナタちゃんのことを当初からなんとなく気にしていたのだが、なんだかわたしの守護霊とソナタちゃんの守護霊との折り合いは今ひとつのようで、あらゆる大人に物おじせずあふれる個性をアピールしに突撃するソナタちゃんだが副担任のわたしにだけは挨拶もせず、決して近寄ろうとしないのだ。

こんにちは、と挨拶してもじろりと睨まれるだけで無視される日が数日続いた後、人見知りしているのかなと思い「ソナちゃん、こんにちはー?」と近付いてにっこりしてみたら、キッパリとした声で「言わない」と断られた。「どうして?ごあいさつしようよ」「言わない。…来週、する」

4歳児とは思えない強く固い意志でソナタちゃんはわたしとの交流を拒否し、くるりと背を向けて走り去った。園児にとってはおばあちゃんと同じくらいの年代の園長にはニコニコ人懐こく近寄っている。わたしは彼女に対して何も感じないが、ソナタちゃんの前世はきっとわたしの前世に恨みでもあったのだろう。

 

✳︎

 

視線を感じて振り向くとソナタちゃんがじっとこちらを見て立っていた。

「ソナちゃん、どうしたの?」

ニヤリと幼児は不敵に笑い、唾を一杯に溜めた口をわたしに向かって開けて言った。

「シャボン玉作ってるの」

ぺろぺろ、ぽこぽこと音を立てて4歳児の小さな口の中に唾の泡が溜まっている。

フーッと彼女が息を吐き、音をたてて涎と飛沫がわたしの方向に飛んできた。

キャハハ、キャハハ、

やれやれ、あんな風に攻撃されるいわれはないのに。なんだっていうの。

俺だってしらねえよ、あんなけむくじゃら。わたしの右耳の後ろで江戸時代を生きた守護霊がぼやいた。逆恨みじゃねえの、あの頃はまあ色々あったから。

難儀な時代だったのだろう、と納得してわたしは諦める。ソナタちゃんに憑いている誰かのことはわたしは見えないが、いずれ世界に出る彼女を後ろからよくよく見守っておいてほしいものだ。妙な逆恨みをされない人生と来世を彼女が歩まないことを、祈っている。